飛べないブタはただのブタさん

今日は研究所へ訪問し、卒論の打ち合わせをしてきました。方向性はだいぶ固まり、あとは教授と手法に関して相談して、中間試問に臨むだけです。資料作りしなきゃ。早く終われ。

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今日は駒祭の音出し全奏だったそうです。メインはマイナーな曲ですが、あとは悲劇的序曲やフィンランディアといった名曲揃い。今から楽しみです。

そういえば自分がヴィオラに転向してからもう3年になります。初めてヴィオラで弾いた曲が悲劇的序曲だったわけで、今更スコアを眺め返してみると、なんとヴィオラの多彩な活躍のある曲かと思ってしまいました。今も小僧ですが、あのときはもう人間じゃない、ただ目の前にある音符をただただ音にしていただけだったような気がします。そういう風に思い返すだけでも、成長したと思いたいものです。

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よく「ヴィオラの音っていいね」と言われたりしますが、そんなヴィオラの音を出せるのは、ヴィオラ弾きのほんの一握りの人間だけだ、と天邪鬼になったりします。こうヴィオラに染まっていくと、ヴァイオリンの華やかな高音や、チェロの艶やかな声域に魅力を感じ、浮気したくなることも多々あります。

それでも本当にヴィオラの音が素敵だと思うことも多く(もちろん素敵な演奏であることを前提として)、病み付きになってしまっているのでしょう。そういう素敵な演奏に出会えたときは本当にワクワクしてしまうものです。その中でも特にこちら。

モーツァルト:ケーゲルシュタット・トリオ モーツァルト:ケーゲルシュタット・トリオ
マイヤー(ザビーネ) (2007/02/21)
東芝EMI
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ピアノ・ヴィオラ・クラリネットの三重奏シリーズです。モーツァルトのケーゲルシュタットトリオと、ブルッフの8つの小品集と、シューマンのおどぎの絵本。数ある(そんなないけど)ヴィオラが主役の音源の中でも、最もヴィオラの魅力を感じやすい作品だと思います。個人的にタベア=ツィンマーマンの音が、深く渋みがあって素敵だと思います。もちろんマイヤーのクラリネットも素晴らしいですが。ヒンデミットの変なヴィオラソナタを聴くよりも、特にブルッフのロマンチックな旋律に耳を傾ければ、本当にヴィオラの持つ潜在的な音色に心を奪われることでしょう。

なんだか気持ちの悪い日記になってしまいました。今日は上のCDにずっと癒されていました。誰かやりませんか?
五月祭おわりました。
室内楽に関しては何も言うことはありません。個人的には納得のいかないミスもありましたが、満足しています。
もうブラームスの六重奏とかあんな大曲はやらんだろう、ということを考えると少し寂しいものがありますが。
また半年後ですね。
しかし本番って怖い。プルプルするわけではないんだけど、精神的にもっと余裕を持ちたい。

明日からしばらく楽器封印です。夏まで。
そろそろマジメに勉強します。
ブラームスの合わせでした。

帰って前回の録音を聴いてみました。録音っていうのはやっぱり普段気づかないことに色々気づかせてくれるわけで、とりわけ自分の音を客観的に聴くことができます。

つまるところ、げんなりしました。うーん。音程はともかく、ビブラートがだめだめでした。とつっこまれました。以前から訓練してはいたのですが、まだまだのようです。厳しい。

本番は頑張ります。何気にトリです。
今日は朝からブラームス。
結局1楽章の前半(もない?)しか出来なかった。6人いると、他人の音を聞くのが難しいぞー。
やっぱりカルテットがやりたくございます。普通の。
駒祭はハイドンでもやろうかなぁ。古典回帰。

昼はせさみ。ご飯3杯おかわりしたら苦しくなった。

さてさて、研究室配属ですが、志望動機を書き終わりました。要は入れてくれーってことです。人気があるかは微妙なので多分入れるでしょう。入れなかったらしょうがない。
ふと某フォイヤーの演奏会の録音を聴いて、ああなるほどと思ってしまったことがありました。まず音程が良ければ、よい演奏に聞こえるということ。もう一つは、音程が良くてもそれがよい演奏とは限らないことというもの。上の二つは一見相反してるようですが、結構ありがちで、奥の深い事実なんじゃないだろうか、と思います。

フォイヤーの演奏はとても上手いです。プロとかプロの卵がじっくり曲作りしていくと、こんな完成度の高い演奏に仕上げることが出来るのかと、プロの恐ろしさをただただ感じさせられました。

ただ、何か落ち着かないというか、しっくりこないというか、違和感を覚えるのもありました。特にハフナーやブラ3を聴いたときに強く感じたのですが、曲の完成度の高さばかりに目がいき、ふと思い返してみて何か強烈な印象が残った、というわけではありませんでした。「フォルテとピアノの差が激しい」「内声が聴こえる」というような感動はあるのですが、端的に言えば余韻がない、さっぱりとした感覚がありました。なぜなのかはよく分かりません。ただ身内を褒めるわけではないのですが、こないだのウチの定期を聴いたときに実情を知ってるだけあって「あらまー」と思うものはたくさんありました。が、終わった後にはなんとも言えない充実感がありました。めちゃくちゃ上手かった!というわけでもなく、ただ心の中にいつまでも響き渡る余韻がありました。

これは別にフォイヤーの演奏が無味乾燥のものであるとか、感動しないというものではありません。日本でも名立たるプロオケに匹敵するような演奏であると思います。ただ多分、演奏の中身の味が違うのだと思います。いい音でいい演奏をする、というのは必要条件なのか十分条件なのか。そもそも演奏をして感動を得るというのはどういうことなのか、ということをまた考えるようになってしまいました。これは一昨年駒場総務をやり終えてから実感したことでもありました。聞くに堪えない、という演奏も世の中にはあります。それでも泣くほど感動してくれる人がいる。演奏することは何を追究することなのか?答えは人の数だけあるのでしょうか。

とりあえず、いい音で演奏するほうが絶対よい演奏にはなると思います。皆さん合宿がんばってね。ゲストがくるかも。